「どうやら、徳川殿とは違う星を見ていたようにござる」
亡き太閤・豊臣秀吉(ムロツヨシ)に誰よりも忠義を尽くしながら、その理想と現実の乖離に絶望する石田三成(中村七之助)。こういう真っ直ぐ過ぎるがゆえにぶつかってしまう不器用な人って、いつの時代もいるものですよね。
決然と立ち去った三成の背中を寂しく見送る「我らが神の君」徳川家康(松本潤)は、「これより、修羅の道に入る」と天下取りへの決意を固めました。
(亡き瀬名や信康たちが掲げていた「慈愛の国」構想はもろくも潰え去ったようです。彼女たちの死は、いったい何だったのでしょうか)
表向きでは豊臣家を立てつつ、諸大名を従えるように政治の実権を掌握していく家康。もちろんそれを快く思わない者たちは少なからずおり、これから大きな波乱が避けられなくなっていきます。
NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回放送「天下人家康」。今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!
一、十人衆(五大老と五奉行)について
さて、秀吉亡き後の豊臣政権を支えるために結集した十人衆のお歴々。日本史の授業では五大老、五奉行と呼ばれる人々ですね。今回はその顔ぶれをおさらいしましよう。
【五大老】
※年齢は秀吉が亡くなった慶長3年(1598年)時点。
徳川家康 関東250万石(56歳)→我らが神の君。もはや説明不要ですね。
上杉景勝(津田寛治) 会津120万石(43歳。家康より13歳年下)→越後の龍・上杉謙信の養子。反家康の最強硬派。
毛利輝元(吹越満) 中国112万石(46歳。家康より10歳年下)→中国地方の覇者・毛利元就の嫡孫。大物感はあるが、煮え切らない性格。
前田利家(宅麻伸) 加賀83万石(60歳。家康より4歳年上)→若い頃から織田信長に仕えた歴戦の勇士。もっと早くから出て欲しかったです。
宇喜多秀家(栁俊太郎) 備前57万石(27歳。家康より29歳年下)→山陽地方の謀将・宇喜多直家の嫡男。秀吉の猶子になっていたことも。
【五奉行】
浅野長政(濱津隆之) 甲斐甲府22万石(52歳。家康より4歳年下)→以前、秀吉の唐入りを真っ向から批判していましたね。
石田三成(中村七之助) 近江佐和山19万石(39歳。家康より17歳年下)→こちらも説明不要でしょうか。今後の活躍が楽しみです。
徳善院玄以(村杉蝉之介) 丹波亀山5万石(60歳。家康より4歳年上)→前田玄以の名前で有名。徳善院は法号です。
長束正家(長友郁真) 近江水口5万石(37歳?家康より19歳年下?)→三成の同僚。能吏として活躍するが、関ヶ原で非業の最期を遂げます。
増田長盛(隈部洋平) 大和郡山22万石(54歳。家康より2歳年下)→関ヶ原では出陣せず。後に徳川家へ仕えるも息子の謀叛により自害。
五大老は元々豊臣家と対等であった大名たち、五奉行は秀吉の側近たち。その石高を比較すると、家康の250万石が圧倒的ですね。
劇中でも説明があったように豊臣政権の実務を五奉行が執り行い、五大老がそれを支える、つまり不満が出ぬよう睨みを利かせる体制でした。
ただし、口では合議制と言ったところで実際は力のある者が主導するのは世の常というもの。
毛利と上杉が束になっても敵わない徳川が実権を握りつつあったのは、誰の目にも明らかでした。
ただし毛利と上杉らもそれぞれ連携していたとは言い難く、単なる「反家康グループ」としてではなく、各大名間の確執なども描いて欲しかったところです。