みなさんは「北前船(きたまえぶね)」という言葉を聞いたことがありますか?
日本史の授業で習った記憶がある、という方も多いかもしれません。さまざまな物や文化を運んだ北前船ですが、実は船主にとっては一攫千金の夢が持てる存在でもありました。
そこで今回の記事では、知られざる北前船の姿に迫ってみたいと思います。
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北前船はいつ頃から始まった?名前の由来は?
北前船は、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運(西廻り航路)で活躍した船のことを指します。北海道から大阪まで往復していた買積み廻船の総称です。
買積み廻船とは、誰か他の人から荷物を預かって運ぶのではなく、船主が商品を買って売ることで利益を上げる廻船です。そのため、「動く総合商社」と考えるとわかりやすいかもしれません。
寛永16年(1639年)に加賀藩が大阪まで米を運んだことがわかっており、これが北前船の始まりだと考えられています。ただし、運航が盛んになるのは江戸中期ごろからでした。
また、北前船という名前の由来は諸説あります。例えば、「北廻り船」という言葉がなまったという説、また「北前=日本海」を指し、日本海を運航する船だからという説などがあります。
北前船で船主が運んだものとは?
北前船では、米、紅花、昆布、ニシン、塩、鉄などが運ばれました。また、船の重し代わり石なども載せられました。
さらに、運んだのは物だけではありません。北前船の寄港地では、近畿の文化が伝わり、言葉・食文化等に影響しています。