徳川家康(とくがわ いえやす)の天下取りを支えた名臣の一人、榊原康政(さかきばら やすまさ、小平太)。
数々の戦場で武勲を重ね、立身出世を果たしました。しかし若いころは身分が低く貧しかったため、具足も満足に用意出来なかったそうです。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、何だかその辺のガラクタを身体中にくっつけて「ちぎれ具足」と笑っていた場面がありました。
果たしてこの「ちぎれ具足」は本当だったのでしょうか。調べてみたら、その元ネタが『名将言行録』にあったのです。
そこで今回は、榊原康政のちぎれ具足エピソードを紹介したいと思います。
家康の直参抜擢祝いに、仲間の神谷金七より
……康政、初め酒井将監が小姓たりしを、家康貰ひし時、水野信元の家人神谷金七、常に念比に交はりし故申候は、其方こと徳川家へ貰はれ給ふこと、能き仕合なり、小身人なれば、具足も持たれ間敷候、笑止に存ずる間、是を餞別に参らするとて、具足の少々継離(ちぎれ)たるを一領贈りたり。其以後、康政此具足を着て高名あり、夫より嘉例として、出陣の時は、其具足を真先に持たせしとぞ。……
※『名将言行録』巻之五十五 ○榊原康政
榊原康政(以下、小平太)ははじめ、三河上野城主の酒井将監(さかい しょうげん。酒井忠尚)に小姓として仕えていました。
酒井将監は松平元康(まつだいら もとやす。若き日の徳川家康)に仕えていたので、小平太は家臣の家臣。すなわち陪臣でした。
それがある日、元康の目に止まって抜擢されることとなります。
「松平家の直参(じきさん。主君に直接仕える家臣。直臣)、おめでとう。大出世だな」
小平太を祝ったのは神谷金七(かみや きんしち)。元康の伯父・水野信元(みずの のぶも)に仕えており、日頃から小平太とは仲良しでした。
「ありがとう。将監様にはお世話になったけど、これからますます奉公に励んで、送り出して下さった御恩に報いるつもりだ」
喜ぶ小平太。金七も、我がことのように嬉しそうです。そして金七は、奥から何やら取り出しました。