皆さん、五平餅(ごへいもち)は好きですか?筆者は昔から好きなので、先日こしらえて堪能しました。
作り方は簡単、いつも通りにご飯(うるち米)を炊いて、それを粒が残るかどうかくらい(これを半搗きと言います)まで潰します。
それを団子状に丸めれば基本形が完成。これだけのシンプルな料理です。
さらに好きなタレを塗って焼けば、表面はカリッと中はモチッとした食感が楽しめます。
今回は砂糖醤油で焼きました。他にも味噌ダレや、塩胡椒もおススメです。
そんな五平餅ですが、どんな由来があるのでしょうか?今回調べてみたので、紹介したいと思います。
五平餅の歴史と語源
五平餅は中部地方の山間部に伝わる郷土料理で、江戸時代中期には存在していたそうです。
北から富山県南部・岐阜県北部(飛騨)および東部・長野県南西部(木曽、伊那)・愛知県北東部(奥三河)・静岡県北西部(北遠)などの地域で伝承されてきました。
五平餅という名前の由来については、以下の諸説があるそうです。
(1)五平or五兵衛という人物が始めたor広めたから
(2)神事に用いる御幣(ごへい)の形にしたから
(3)あまりの美味さに一人で五合は平らげてしまうから
どれもそれらしいですが、確かに筆者も五合は平らげてしまうかも知れません。
今でこそおやつとして気軽に食べられる五平餅。しかしかつて長野県の木曾地方・伊那地方では、ハレの日に食べる特別な料理でした。
田植えを終えて田の神様をお送りする神事(しつけじまい、田植えじまい、まんが洗いなど)の後や、収穫を終えた新米の時期などに「五平餅会」が開かれ、みんなで五平餅を作って楽しんだそうです。
他にもお祭りやお祝い、お客をもてなす時などに提供されたと言います。確かに、旅先でこれを出されたら、筆者も嬉しいですね。
そんな五平餅は今でも親しまれており、たとえば長野県飯田市では毎年4月17日を「飯田・下伊那の日 五平もち記念日」にしているとか。「し(四)もい(一)な(七)」の語呂合わせだから、簡単に覚えられます。
ちなみにタレも各地で個性があり、醤油や味噌をはじめとしてゴマやクルミ、エゴマなどがよく使われるとか。他にはクルミやピーナッツ、卵にハチミツ、ヘボ(蜂の子)など実に様々。
岐阜県恵那市では毎年11月3日に「ヘボまつり」が開かれ、五平餅にヘボを練り込んだタレを用いる「ヘボ五平」が名物となっています。
筆者もヘボやザザ虫は好きなので、遊びに行ったら是非とも賞味したいですね。