時は慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原合戦。豊臣家から政権簒奪を企む徳川家康(演:松本潤)の前に、石田三成(演:中村七之助)が立ちはだかります。
「亡き太閤殿下(豊臣秀吉。演:ムロツヨシ)の天下を、徳川の好きにさせてなるものか!」
幼少期からその才覚を見込まれた三成は、豊臣政権における能吏として活躍。秀吉の死後も、あくまで忠義を貫き通すのでした。
そんな三成は、治部(じぶ)または治部少輔(じぶしょう)などと呼ばれています。
これは律令時代から続く朝廷の部署「治部省」に属する官職ですが、どんな役割があったのでしょうか。
今回それを調べてみたので、紹介したいと思います。
外交・訴訟・儀礼などを担当
治部省(じぶのしょう/おさむるのつかさ)は主に以下の職務を担当したそうです。
一、外事(外交)に関すること
一、戸籍(氏姓)に関すること
一、儀礼に関すること
外事については遣唐使や外国使節の饗応、戸籍については権利関係や訴訟、そして儀礼については雅楽や天皇陵墓の監督などが行われました。
しかし時代が下り平安期に入ると氏姓制度は後退、寛平6年(894年)の遣唐使廃止なども影響して、外国との接点も減少。
次第に職掌が狭まっていき、やがて仏事や僧尼の管理、雅楽や陵墓の監督を行うのみとなったと言います。
なお、戦国時代にはこうした官職はすっかり有名無実化(要するに名誉職)。石田三成が実際にこれらの職務を担当したことはありませんでした。