性愛のみならず、主従関係の信頼や絆を強める手段でもあった戦国武将の男色・衆道。しかしながら、徳川家康は衆道に対して「一番興味がなかった」といわれています。
その家康の心を一目で虜にした「絶世の美少年」井伊直政は、「徳川四天王」の中でも特に大切にされた存在でした。
【前編】では家康と井伊直政の鷹狩りでの出会いまでをご紹介しました。
「男色」は武士のたしなみ!?徳川家康が寵愛した美少年・井伊直政との絆【前編】
【中編】では、いかに家康が直政に信頼を置き愛情を注いでいたかを追ってみたいと思います。
「色小姓としてしまうという手もあるかの」
戦国武将が「寵童」として、美少年を召し抱えていた話は数あれど、井伊直政のように寵童から大出世を遂げて「徳川四天王」「筆頭の重臣」となったことが記されている文献が残っているのは大変珍しいことです。
2017年に放送されたNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも、虎松から成長し名前を「井伊万千代」と改めた井伊直政(菅田将暉)が、徳川家康(阿部サダヲ)に寝所に呼ばれ、「衆道も出世の道だ」と覚悟していくも、家康に笑い飛ばされ仕事ぶりを褒められるという場面がありました。ほっとしたような表情を浮かべる直政。
しかし、膝でにじりより「いっそ、まこと、色小姓としてしまうという手もあるかの」「まことそういうことにしてしまわぬか」と直政の耳元で囁く家康。どこまで本気だったのか……阿部サダヲさんと菅田将暉の演技が絶妙過ぎましたね。
当時の「小姓(こしょう)」とは、武将のそばに使えて身の回りの雑用をする者のことですが、その多くは少年でした。
その小姓に「色」が付く「色小姓」は、使えている武将の「夜のお相手をする小姓」、つまり衆道のお相手をする少年のことを指します。
当時から「顔がかわいい」といわれていた万千代が涙ぐむ姿を見て、思わず家康はからかってみたのか、本当にその後「色小姓としてしまったのか」……ドラマでは曖昧なまま終わりました。SNSでは大河ファンの間で「色小姓」のキーワードが多いに盛り上がったようです。