幕末期に暗殺された土佐藩の重鎮・吉田東洋はどんな人?その人となり・実績に迫る【前編】

「土佐の上士」の家に生まれる

幕末期に暗殺された、土佐藩の重鎮・吉田東洋(よしだ・とうよう)という人物がいました。漫画『お~い!竜馬』では悪役として描かれて、大立ち回りの末に岡田以蔵に斬殺されましたね。

では、実際にはどんな人物で、どんな実績を持つ人だったのでしょうか。

彼は文化13(1816)年、土佐藩の上士(上級武士)で、高知城下の帯屋町の馬廻りの家格を持つ吉田光四郎正清の四男として生まれました。名は正秋(まさあき)、通称は元吉(もときち)で、東洋は号になります。

吉田家の祖先は戦国時代に長曾我部元親の重臣だった家柄で、関ケ原の戦いの後に、土佐藩の初代藩主である山内一豊から家臣として迎えられていました。

文政6(1823)年、庶兄が早世したため彼は嗣子となり、天保12(1841)年に父・正清の死去により家督を継ぎます。そして船奉行として土佐藩に出仕し、のち郡奉行となります。

郡奉行とは、藩の家老の命令を受けて地域の年貢を徴収する重要な役職です。東洋は13代藩主・山内豊熈の側近として期待をかけられていました。

2ページ目 突然の無役に

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