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歴史の陰に岩倉具視あり!?幕末の動乱期に見せた八面六臂の活躍

歴史の陰に岩倉具視あり!?幕末の動乱期に見せた八面六臂の活躍

煽る岩倉具視

幕末から明治期に活躍した人と言えば、維新の三傑として、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が有名ですね。

また、どちらかというと目立たない位置付けですが、彼らとともに倒幕に貢献した人物として岩倉具視(いわくらともみ)が挙げられます。

少し上の年代であれば、旧500円札にその肖像が使われていたことを思い出す方もいるでしょう。

公家としては低い身分だった彼が、幕末期の大弾圧「安政の大獄」の裏でどんな立ち回りを見せていたのかを解説します。

そのきっかけは、日米修好通商条約の締結に関する動きがあった時でした。条約締結に反対する孝明天皇の意に反し、幕府の老中・堀田正睦はあくまで締結しようとします。幕府側からみれば攘夷など不可能で、開国は避けられないという考えでした。

そして堀田は朝廷側の関白・九条尚忠を味方に付けて締結しようとします。これを知った岩倉は激怒し、廷臣八十八卿列参事件を起こします。88人もの公家をまとめて九条邸へ押しかけさせ、座り込みの抗議をさせたのです。

もともと公家の間では九条に対する不満が高まっていたので、そこでうまく立ち回って、味方になりそうな公家たちを煽ったのでした。

奔走する岩倉具視

この出来事が追い風となり、孝明天皇は条約締結への勅許を許可せず、老中の堀田は辞職に追い込まれます。

これが岩倉にとっては、いわば「政界デビュー」で、彼は時局の混乱に乗じて存在感を示す結果になったのです。

とはいえ、朝廷と幕府が対立することは彼の本意ではありませんでした。策略家ではあっても、今は大局を見るときであり、国内で分裂している場合ではないと考えていたのです。

それに孝明天皇も、あくまでも鎖国体制の維持を望んでいるのであり、幕府から政治の実権を奪うつもりはありませんでした。

そこで岩倉は、伏見奉行の内藤正縄との面会を試みます。ちょうどこの頃、老中が堀田から井伊直弼に切り替わって安政の大獄が始まっていたので、彼の行動にはリスクが伴いました。

面会に漕ぎつけた岩倉は、孝明天皇の考えや朝廷の立場について丁寧に説明し、決して幕府と敵対することはないと伝えました。これには内藤も心を動かされたらしく、翌日彼は菓子折りを持って岩倉のもとを訪れています。

2ページ目 説得する岩倉具視

 

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