北条義時の意外な一面?承久の乱に臨んで見せたうろたえぶりを紹介【鎌倉殿の13人】

時は承久3年(1221年)5月21日。後鳥羽上皇(演:尾上松也)との最終決戦(承久の乱)に臨むべく、北条泰時(演:坂口健太郎)らが鎌倉を出立しました。

「ひとたび兵を挙げた以上、もはや後戻りは出来ぬ……」

鎌倉に残って戦果を待つ北条義時(演:小栗旬)。畏れ多くも一天万乗の君(ここでは上皇陛下)に抗い奉る胸中は、さぞ波立っていたことでしょう。

昔から「果報は寝て待て」なんて言いますが、義時の立場にしてみれば、居ても立っても居られなかったであろうことは、想像に難くありません。

そこで今回は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』より、義時のうろたえぶりを紹介。彼もまた、血の通った人間なのです。

義時の館に落雷。これは天罰?うろたえる義時に、広元は……

……同日戌刻。鎌倉雷落于右京兆舘之釜殿。疋夫一人爲之被侵畢。亭主頗怖畏。招大官令禪門示合云。武州等上洛者。爲奉傾朝庭也。而今有此怪。若是運命之可縮端歟者。禪門云。君臣運命。皆天地之所掌也。倩案今度次第。其是非宜仰天道之决断。全非怖畏之限。就中此事。於關東爲佳例歟。文治五年。故幕下將軍征藤泰衡之時。於奥州軍陣雷落訖。先規雖明故可有卜筮者。親職。泰貞。宣賢等。最吉之由同心占之云々。

承久3年(1221年)6月8日条

6月8日の20:00ごろ、義時の館に落雷があり、釜殿(かまどの、湯沸かし室)に勤めていた下男が一人打たれ亡くなってしまいました。

「何ということだ!」義時はこれが自分に対する天罰ではないかと震え上がってしまいます。

「大江殿を呼べ!」

さっそく呼ばれた大江広元(演:栗原英雄)は「どうされましたか?」と用件を訊きました。

「武州(泰時)を上洛させたのは、朝廷を傾ける者を討ってご政道をお正し申し上げんためである。それなのに今回の怪現象が起きたのは、天罰なのではなかろうか」

これを聞いた広元は、やさしく義時に教え諭したとか。

3ページ目 そんなもんでビクビクしていたら…

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