えっ、あの人もこの人も松尾芭蕉も!? 歴史上の人物が実は忍者だった説:2ページ目
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能楽師・観阿弥は楠木正成と伊賀・服部氏の血を継ぐ?
観阿弥・世阿弥といえば有名な能楽師。彼らもまた、伊賀出身の可能性があります。
昭和37年に発見された「上嶋家文書」には、伊賀服部氏族の上嶋元成の三男が観阿弥で、母親は楠木正成のきょうだいだと記されています。
そのことから、観阿弥・世阿弥は南北朝時代は北朝側の足利将軍に仕えましたが、実は楠木正成のいる南朝側に仕えたスパイだったのでは?という疑惑があります。
子孫の観世太夫にはこんなエピソードもあります。
三代将軍・徳川家光と剣術指南の柳生宗矩が、観阿弥の子孫・観世太夫の能を鑑賞していたときのこと。
家光が何を思ったか「隙があれば、観世太夫に斬りつけてみろ」と宗矩にもちかけます。腕試しをしたかったのでしょうが、宗矩は能が終わるまで動けませんでした。
そして「大臣柱で隈を取った時にわずかに隙があったので、あのときなら斬れたかもしれません」と家光に白状します。
そして観世太夫も、同じ瞬間に「殺気を感じたが、あれはだれか?」と付き人に質問しました。
それを聞いた家光はさすがだと二人の極意に感心したといいます。このことから観阿弥・世阿弥やその子孫は「ただの能役者」ではなかったということなのでしょう。
各地にネットワークを持つ能楽師と、全国行脚を許された俳諧師。幕府が隠密として利用してもおかしくはないですね。
参考:忍者の教科書-新萬川集海(笠間書店、伊賀忍者研究会/編
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