平安時代、数カ月間の無断欠勤で叱られた「不良貴族」の言い訳がトンデモ過ぎる件

昔から「本日はお日柄もよく……」などと言うように、何ごともそれを行うのに良い日、悪い日があるもの。

例えば結婚式をあげるなら大安(たいあん)吉日、お葬式を友引(ともびき)にあげると縁起が悪い(友を引く≒道連れにされる)……などなど、現代でも多くのしきたりとして伝わっています。

現代ではあまり気にしない(と言うより、いちいち気にしていられない)方も多いですが、昔の人々はこの日柄をはじめ物事の吉凶を非常に重視していました。

今回はとある平安貴族のエピソードを紹介。現代人の感覚では俄かに信じがたいことですが……。

数カ月にわたる無断欠勤の理由が何と……

時は長和5年(1016年)4月、除目(じもく。人事異動)があって源季範(みなもとの すゑのり)と藤原永信(ふじわらの ながのぶ)が検非違使の右衛門尉に任じられました。

検非違使(けびいし)は京都洛中の治安維持を担当する部署で、右衛門尉(うゑもんのじょう)は中間管理職に当たります。

大変な反面、非常にやりがいのある仕事ですが……この季範と永信、初出仕の日になっても検非違使庁へ出てきません。

「あれ……身体の具合でも悪いのかな?」

まったく最近の若いモンは、欠勤連絡の一つもよこすのが社会常識であろうに……とは思いつつ、広い心で待ち続けました。

が、何カ月経っても一向に両名の出仕してくる気配がありません。もう夏も過ぎて、秋と言うかもうすぐ冬が迫る勢いです。

「いくら何でも怠慢すぎる!もう堪忍ならない!」

度重なる催促にも応じない二人に、とうとう堪忍袋の緒が切れた当局は、この事態を藤原道長(ふじわらの みちなが)に報告しました。

さっそく蔵人たちが問責の使者に派遣され、理由をただしたところ、返って来たのはこんな答え。

2ページ目 言い訳がトンデモ過ぎる不良貴族

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