みなさんは、今川氏真(いまがわうじざね)という人物の名前を聞いたことがありますか?
父はかの有名な今川義元(いまがわよしもと)。お父さんと比べると、氏真自身の印象は薄いかもしれませんが、実は、彼が行きた戦国時代から江戸時代のなかでも、かなりユニークな生涯を過ごした存在なのです。
そこで、今回の記事では、そんな今川氏真についてご紹介します。
今川氏真(いまがわうじざね)ってどんな人?
今川氏真(いまがわうじざね)は、天文7年(1538年)に、今川義元と武田信虎の娘である定恵院とのあいだに生まれました。
今川家はもともと、足利将軍家の親戚筋にあたる、由緒ある家でした。氏真も、公家の文化に触れて育ったといわれています。歌や蹴鞠を好みました。
永禄元年(1558年)、父が存命のうちに、氏真は今川家の家督を継ぎました。その理由は、義元が駿河から西へ侵略をするためと言われています。
永禄3年(1560年)に起きた桶狭間の戦いで父・今川義元が亡くなると、周りの国から責められるように。しかし、この後の行動が氏真をユニークな存在にしています。
というのも、彼は国を捨てて、妻・早川殿の実家である北条氏のもとへ逃げたのです。無能と呼ばれた男を支えた愛。戦国時代随一のおしどり夫婦、今川氏真と早川殿の一生
再評価高まる戦国大名とその妻2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』にも登場する戦国武将・今川氏真(いまがわうじざね)。現代に至るまで「無能」という不名誉なレッテルを貼られていた氏真ですが、…
そして、最後には徳川家康にごくわずかな領地を与えられ、慶長19年(1615年)に亡くなりました。