江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い

山内良子

江戸時代には「吉原」という大人の遊び場があり、現代でいうところの「ソープランド」のような役割を果たしていました。

江戸には、幕府が公認した唯一の遊郭「吉原」と、幕府非公認の遊女屋「岡場所」があり、男性たちの懐事情によって通う場所が違っていたようです。

そこでこの記事では、「吉原」と「岡場所」の費用や遊び方などの違いのほか、現代の性風俗との違いについても紹介したいと思います。

「吉原」とは

現代の性風俗店では、ソープランドに例えられることの多い「吉原」。飲み屋街で例えると、「銀座の高級クラブ」といったところでしょう。幕府が公認した、唯一の「遊郭」で、2,000~3,000人の遊女がいたそうです。

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また、現代での3月末頃には根の付いた桜の木を植えて桜並木を作ったり、季節ごとの花を植えたりと粋で幻想的な場所だったと言えるでしょう。

どんな客が通っていたのか

吉原が日本橋にあった頃は、客の中心は武士でした。しかし、浅草の千束(現在の台東区)に移転してからは、商人や職人といった町人が客層となっています。

町人のなかには知識や教養のある人が多かったため、「吉原」は江戸の最先端をゆくスポットとなっていったのです。

ただし、花魁のような上級ランクの遊女の元に通えたのは、町人のなかでも豪商や豪農、藩主の邸宅で留守を務める「藩邸の留守役」などのお金持ちのみでした。

どんな遊女がいたのか

武士の客が中心だった頃に最高ランクだったのが、芸事や教養などを兼ね備えた「太夫」で、江戸中期以降は、散茶女郎が最高ランクとなり「花魁」と呼ばれています。

散茶女郎とは、「湯を足すだけで飲める散茶は、袋を振る必要がない」ため、これをかけて「客を振らない」「客を断らない」という意味です。

客層が変わって芸事などが重要視されなくなった花魁の時代、花魁たちは、男性を魅了するための色気やテクニックを日々磨いていたようです。

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必要なお金

花魁のように、ランクの高い遊女との床入りには3回通うことが必須で、そのためには現在のお金で約100万円もの大金が必要でした。

ただ、同じ「吉原」のなかの上級遊女でも、部屋持(花魁時代のランク)では1晩3万ほどだったため、支払金額は雲泥の差だったのです。

「吉原」での遊びかた

最高ランクの遊女と床入りするためには、3回は通う必要がありました。

1回目は「初会」と言い、遊女が客の品定めをします。客は離れて座ることしか許されず、飲食したり話したりもできません。

2回目は「裏」と言い、1回目よりも遊女と近い距離で座ることが許されるものの、あとは1回目と同じで、飲食や会話はできないのが基本です。

3回目でやっと「馴染み」となれるものの、「馴染み金」なる祝儀を支払わなければならず、自分の名前が入った食器と箸がプレゼントされます。

そして「馴染み」となった3回目で床入りとなるのが基本的な流れだったようです。

最高ランクの遊女以外は、1晩で床入りできることがほとんどだったようですね。

3ページ目 岡場所とは?

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