武家の女性は強さも必要!江戸時代、男装で女性たちを指導した「別式」とは?
古来、女性はその美しさで多くの人々を魅了して来ましたが、美しいだけではなかなか生きていけないものです。
こと武家に生まれた/嫁いだ女性であれば、美しさと共に強さも備えることで、その覚悟と嗜みを証することが求められました。
戦国乱世も遠く去りつつあった江戸時代、一部の大名家では別式(べつしき)を置いたと言いますが、別式とはいったいどんな役職で、どんな役割を果たしていたのでしょうか。
今回はそれを調べてみたので、紹介したいと思います。
男装の女性武芸者たち
別式とは大名家の奥向き(幕府でいう大奥。子女などの居住区)で女性たちに武芸(剣術、薙刀、鎖鎌、馬術など)を指導する役職で、担当する女性は男装で臨みました。
名称について由来は不詳ながら、本式(≒男性)の武芸者を女性の多い奥向きに入れるのは都合が悪かったであろうため、女性の武芸者を「別式」として入れたものと考えられます。他には刀腰婦(たちはきめ)、帯剣女(たちおびめ)などと呼ばれました。
その姿は家によって異なるものの、ある家では眉を剃って墨を描かず青いままの顔、大小の刀を差し、着物は対丈(ついたけ。背丈に合わせて着物を仕立て、裾を引きずらず活動しやすい)に着た勇ましい(ある種異様な)ものであったそうです。
江戸時代初期の寛文年間(1661~1673年)ごろから各家で流行り始めたそうですが、これは元和偃武(げんなえんぶ。元和元・1615年、豊臣家の滅亡による戦国乱世の終結)による泰平の世が実現して約半世紀が過ぎ、次第に武家も軟弱化しつつあったことを憂えた反動と言われます。
(※)逆に戦国乱世まっさかりの頃は、上方より公家の女性を迎え入れるなど、家庭生活を少しでも美しく、雅やかにすることが好まれましたが、数十年で世の中は大きく変わるものです。
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