蹴鞠はただの遊びじゃなかった!伝統的なしきたりと儀式的側面も併せ持つ不思議なスポーツ

みずめ

以前ラグビーと下鴨神社について記事を書きましたが、関連して蹴鞠の文化と伝統にも触れておこうと思います。

もうすぐラグビーワールドカップ!京都の「下鴨神社」がラグビーの聖地と呼ばれる理由

9月20日に開幕するラグビーワールドカップ。あまり競技になじみの無い方もいることでしょう。ところで、あの有名な京都の「下鴨神社」が、実はラグビーに大変ゆかりのある場所だと知っていましたか?…

みなさん、蹴鞠というと貴族が数人ぐらいでポンポンと遊んでいるただの娯楽(失礼)だと思っていませんでしたか? 実は細かく決められた仕来りと流派などもある、儀式的な要素の高いイベントだったのです。

蹴鞠の伝承

蹴鞠は今から4千年前に殷で天と地を仲介する雨ごいの儀式として発展したとのこと。日本へは1400年前に伝わり、中大兄皇子(のちの天智天皇〈626ー672年〉〉と藤原鎌足が飛鳥の法興寺(現在の飛鳥寺)で蹴ったのが最初とされています。

『日本書紀』巻二十四に記述があり、法興寺の木の下で、「中大兄皇子が毱(鞠)を打った際に、皇子の皮鞋が鞠とともに脱げ落ちたのを中臣鎌足が拾ったのがきっかけで、二人は親しくなった」というお話です。この二人がその後、大化の改新の成したのですから、凄い因果です。

蹴鞠の基本

烏帽子、鞠水干・鞠袴と呼ばれる専用の装束(階級によって色が異なる)を身に付けた貴族が6~8名ほどで一座となり、鞠を足で蹴って地に落さないように蹴りつづけるもので、勝ち負けはありません。この勝敗が付かないというということから、平和を祈願する儀式的な側面も持っていたようです。

鞠は鹿の皮を2枚円形(直径30~36cm)にして、毛を内側にしてなめし縫い合せたもので、直径は17~18cm、重さ約150g程度です。この鞠が紐で二分されていることから、陰陽を表すとされています。

鞠を蹴る場所は「鞠庭・鞠場・鞠懸(まりがかり)」と呼び、広さは約14m四方で、四隅に、松(西北)・桜(東北)・柳(東南)・楓(西南)の木を植えます。これは「式木(しきぼく)」といって、後述する蹴鞠の精が宿るための依り代とされており、高さは4~5mにして蹴り上げるときの目安にもしたようです。また、地中には壷を数か所埋めて、蹴った鞠の反響をよくする工夫も施されました。

蹴り方、掛け声は「アリ、ヤ、オウ」

まず、鞠庭に出入りするところから作法があり、蹴鞠を開始する「上げ鞠」までに歩数や立ち位置など細かく決めれていました。

4隅の木の下に2人ずつ8人が立ち、松の下に立つ上足 (じょうそく) と呼ばれる熟練者から蹴りはじめて次々に渡していきます。外に出た鞠を中へ蹴り返す、野伏という役もいました。

鞠を蹴る時も姿勢が問われます。腰や膝を曲げず、足は足裏が見えない程度にしか振り上げてはなりません。要するに優雅さを求められたわけです。ということは、自分が鞠を受けられればいいわけではなく、相手の姿勢が崩れないようにうまく蹴ることが重要となります。また、かけ声は、「アリ」・「ヤ」・「オウ」と決められています。この掛け声は後述する蹴鞠の名人、藤原成通の見た幻視によるものです。

3ページ目 蹴鞠の名人が見た鞠の精霊とは?

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