2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時ってどんな武士だった?【下】

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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時ってどんな武士だった?【上】

よく「来年の話をすると鬼が笑う」と言いますが、2020年大河ドラマ「麒麟がくる(1月19日放送開始)」がまだ始まってもいない内から、来年どころか再来年(令和四2022年)の大河ドラマのタイトルが決定し…

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時(ほうじょう よしとき)は、姉の「尼将軍」こと北条政子(まさこ)たちのせいで今一つ影が薄い印象ですが、実は凄い人だったのです。

若いころは「基本、真面目で優秀なんだけど、どこか抜けていた」義時。しかし頼朝公のそば近くに仕えてその姿を見続けたことにより、着々とその実力を養っていくのでした……。

鎌倉殿の1/13人として

義時がその本領を発揮したのは、正治元1199年に頼朝公が亡くなってその嫡男・源頼家(よりいえ)公が将軍職を継承してからです。

偉大なる父・頼朝公を超えようと苦悩するあまり独裁色を強める頼家公の暴走を制御するため、幕府の政治を将軍親政(しんせい。自ら政治を執ること)から有力御家人みんなで話し合って物事を決める合議制に改め、そのメンバーの一人として父・時政と共に存在感を示していきます。

(※この合議制のメンバーが13人だったので、大河ドラマのタイトルは「鎌倉殿の13人」なのでしょう)

その後、梶原景時(かじわらの かげとき)や比企能員(ひき よしかず)、畠山重忠(はたけやま しげただ)や和田義盛(わだ よしもり)と言った政敵たちを次々と滅ぼして幕府の実権を掌握するに至るのですが、その「手」は将軍にまで及んだとも言われています。

一説には、先ほど紹介した第二代将軍・頼家公を鎌倉から追放した上で暗殺。またその跡を継いだ第三代将軍・源実朝(さねとも)公も自分の意にそぐわなかったため、その甥・公暁(くぎょう。頼家公の嫡男)に暗殺させたそうです。

また、時系列は前後しますが、年老いて耄碌(もうろく)した父・時政に引退(出家)を迫り、先に出家して「尼将軍」となっていた姉・政子と共に鎌倉幕府を切り盛りします。

そして、生涯最後にして最大のライバルとなった後鳥羽上皇(ごとばじょうこう。第82代天皇陛下)との決戦、後世にいう「承久の乱」に勝利することで、鎌倉は朝廷の影響下から脱却した「武士たちの都」として独立を果たしたのでした。

武士の世とは、武士たちの都とは

これが歴史的に、どういう意味を持つのでしょうか。

それまで武士はどんなに強くても、どれだけ手柄を立てようと「朝廷や公家(くげ。貴族)の犬≒奴隷(地下人-じげにん)」と見なされており、武士どうしで争っては「ご主人様(朝廷や公家)に認めてもらう」ことを至上の価値としていました。

かの偉大なる頼朝公にしても、あくまで従来の「朝廷の権威によって」武士たちを支配・統率する方針を変えることは出来なかった(そもそも変えようという発想もなかった)のですが、それを義時たちはやってのけました。

朝廷は朝廷として(一応は)尊重するけれど、武士たちの支配・統率は幕府が行う……結果を知っている現代の私たちにすれば、ごく当たり前に行われたようにも見えます。しかし当時、それを実現するのは大変な畏怖と困難を伴う偉業だったのです。

義時こそは「鎌倉幕府における、頼朝公に次いで政子に匹敵するレベルの功労者」とも言えるでしょう。

まとめ

以上、北条義時の生涯とその見どころについてざっくり紹介してきましたが、振り返って見ると義時は「有事ほど能力を発揮する」タイプのリーダーなのだと思います。

逆に頼朝公や父・時政のような優れたリーダーの下では今一つパッとせず、押しの強い姉・政子に比べて地味でもありますが、頼朝公を失ってからは長年培った本領を発揮。ついには文字通り「武士の世」を実現するに至りました。

次々と政敵たちを陥れて幕府の実権を握った「陰険キャラ」として人気は今一つな義時ですが、それも「武士の世」を実現する産みの苦しみ。滅ぼされていった者たちも、少しは浮かばれると信じたいところです。

そんな義時の生涯を、あの三谷幸喜さんが描かれるのですから、どんな斬新な切り口で人間的魅力が引き出されるのだろうと期待しない訳には行きません。

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、今から楽しみですね!

※参考文献:
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社選書メチエ、2011年3月11日
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月12日

 
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