寝ぼけてうっかり!?江戸時代、予想外すぎる方法で切腹してしまった武士がいた:2ページ目
2ページ目: 1 2
次第にストレスが溜まっていき…
ある日忠章は忠充によるストレスと疲れからか城内でうたた寝していました。やがて目を覚ますと、自身の知らない間にお腹に刀が突き刺さっていました。なんと忠章は寝ぼけて切腹をしていたのです。
異変に気がついた家来が直ちに近寄ると、忠章は自身の無事を伝え手当を受けました。幸いにも命を取り留めた忠章でしたが、この一件が乱行と見なされ次期藩主の座を下ろされてしまいます。
そして、次期藩主の座は忠章の弟、松平康顕(まつだいら-やすあき)に譲られることになりました。
その後の久松松平家
忠章が起こした事件から約30年後、忠充の暴君ぶりが幕府に知られるようになると長島藩は改易となってしまいます。しかし、久松松平家は徳川家康の異母弟、松平康元に繋がる家系だったので特別な配慮を受け、以後旗本として存続しました。
肝心の忠章はそのような扱いを受けることはなかったので、生母の領地である丹波国篠山に移住しました。
最後に
将来を期待されているが故に頑張ろうとした結果、キャパシティーオーバーによって誰も予想できないことをしてしまう。このように優秀な人物ほどストレスを抱えてしまうのは現代でもあり得ることです。
忠章のようになってしまわないように、時には肩の力を抜いて生きていくことも必要だと感じさせられました。
参考:歴史の謎を探る会『江戸の時代本当にあったウソのような話』
ページ: 1 2