桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【三】

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桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【一】

戦国ファンなら誰もが一度は興味を持つであろう「桶狭間(おけはざま)の戦い」。時は永禄三1560年5月19日、尾張国(現:愛知県西部)をどうにかまとめた程度の弱小大名に過ぎなかった織田信長(おだ…

桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【二】

前回のあらすじ時は戦国、永禄三1560年「桶狭間の戦い」で今川義元(いまがわ よしもと)を討ち取った武将として知られる服部小平太(はっとり こへいた)と毛利新介(もうり しんすけ)。その名…

時は戦国、永禄三1560年「桶狭間の戦い」で今川義元(いまがわ よしもと)を討ち取った武将として歴史ファンに知られている服部小平太(はっとり こへいた)毛利新介(もうり しんすけ)

しかし、桶狭間の戦い以後の人生についてはあまり知られていないようなので、前回まで服部小平太の人生を紹介してきました。

続いて、今回は毛利新介の人生を追っていこうと思います。

毛利新介のプロフィール・誕生から桶狭間まで

【実名】毛利秀高(もうり ひでたか)⇒良勝(よしかつ)
【通称】新介(しんすけ)⇒新左衛門(しんざゑもん)
【生没年】生年不詳(天文九1540年前後?)~天正十1582年6月2日
【官位】なし
【主君】織田信長⇒織田信忠
【家族】不明

新介も尾張国の出身と言われていますが、その出自についてはよく知られていません。若くして信長の馬廻となっていることから、恐らく小平太と同年代(桶狭間の時点で15~25歳ごろ)と考えられます。

また一説には小姓であったとも言われ、信長の性愛対象≒美男子であったのかも知れません。

桶狭間の決戦では小平太に一歩後れをとるものの、いざ追いついてみると、態勢を崩した小平太を斬ろうと太刀を振りかぶる今川義元が、こちらに背中を向けています。

我が身に槍を突き立てられた怒りで周りも見えず、ただ小平太一人を睨み据えている義元は、こちらに気づいていません。

これは千載一遇の好機、と背後より義元に斬りつけた新介ですが、我に返った義元は猛然と新介に取っ組みかかり、新介の手指を食いちぎる執念を見せます。

最終的には義元の首級を上げた新介ですが、小平太ともども体じゅうボロボロ。膝を斬られた小平太は歩行が困難に、指を食いちぎられた新介は刀を握る力が入らない、後遺症が残ってしまう苦い勝利となりました。

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