貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(三)

これまでのあらすじ

時は戦国時代末期、若くして夫・八戸直政(はちのへ なおまさ)と幼い長男に先立たれた子子子(ねねこ)は、御家乗っ取りを企む南部宗家の息がかかった家来衆との再婚を断るため、出家・剃髪して清心尼(せいしんに)と称しました。

これまでの記事

貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一)

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貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(二)

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女手一つで二人の娘を育てる一方、女城主として所領(陸奥国糠部郡根城。現:青森県八戸市根城)を治め、忠臣たちに支えられながら困難を乗り越え、御家を守り抜いた清心尼は、又従弟の新田弥六郎直義(にいだ やろくろうただよし。20歳)に次女の愛(めご)を娶らせ、婿養子に迎えて35歳で家督を譲ります。

しかし、これで楽隠居という訳にはいかず、清心尼たちの前にはまだまだ困難が立ちふさがっているのでした。

直義、盛岡藩の筆頭家老に

元和六1620年、めでたく直義に八戸氏の家督を譲った清心尼ですが、その直後に南部宗家から「直義を盛岡南部藩の筆頭家老に命じる」との辞令が下りました。

「優秀な弥六郎殿には、我が膝元にて政道の助言と、嫡男・権平(ごんぺい。後の南部重直)の補佐を頼みたい」

どこからどう見ても栄転ですが、八戸氏としてみれば当主である直義が盛岡へ赴任することによって長期不在となるわけで、手放しに喜べる話ではありません。

「所領の留守については、政広殿と清心尼殿の両名にてよう差配せよ」

直義の父・新田政広は既に老齢……となれば結局は清心尼が政務を執らねばならず、まだまだ現役で頑張らねばなりませんでした。

直義と愛たちを見送った清心尼たちに対して、更なる困難が続きます。

3ページ目 遠野への転封辞令、憤る家臣たち

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