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女性関係にルーズな吉宗ゆえ?将軍・徳川吉宗の”落とし子”と称する者が巻き起こした「天一坊事件」とは?

女性関係にルーズな吉宗ゆえ?将軍・徳川吉宗の”落とし子”と称する者が巻き起こした「天一坊事件」とは?

御落胤効果でいつかは大名に!!

享保13年(1728)の頃になると天一坊は南品川宿で近いうちに大名になると言いふらします。そして、それを聞いた浪人たちが天一坊の元に集まり、仕官させるために金品を貰い受けることをしていました。

このことを不審に思った浪人、本多儀左衛門は行政や裁判などを取り仕切り、警察権も統括していた関東代官の伊奈忠逵(いな-ただみち)に報告します。

忠逵は天一坊を担いでいた者たちを尋問し、このことを上司の勘定奉行、稲生正武に報告します。

そして、天一坊のことを聞いた吉宗は「この者のことを知っている」と言ったので、忠逵は天一坊を慎重に調べることにしました。

吉宗は体が丈夫で豪快な性格だったので、将軍になる前に多くの女性と関係を持ったとしても不思議ではありませんでした。このことは幕府でも承知の上だったようです。

3ページ目 天一坊は果たして吉宗の御落胤?

 

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