平安時代の超イケメン貴族・在原業平、単なるチャラ男ではなく野心家でもあった

湯本泰隆

日本史には何人もの英雄・色男が登場し、後世の男性がうらやましがるほど女性にもてた男もいました。しかし、交際した女性の数が具体的に残されているのは、おそらく平安時代の貴族で歌人・在原業平(ありわらのなりひら)以外にはいないのではないでしょうか。

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業平は平城天皇の皇子・阿保親王の五男でしたが、平城天皇は嵯峨天皇に譲位後、政権を取り戻そうと反乱を起こしますが失敗。上皇の関係者は処罰され、平城上皇自身は隠居生活をすることになります。

この事件によって、平城天皇の子孫たちが次期天皇候補から除外され、皇族としても微妙な立場に立たされました。当時、皇位継承の可能性がないものは、「臣籍降下」することになっていました。この時代、皇族があまりにも増えすぎて、それが国家財政を逼迫していました。「臣籍降下」は皇族を減らすための苦肉の策だったわけですが、出世コースから外れてしまった業平は臣籍に下ったのです。

4ページ目 女子を口説くことには超天才的な在原業平

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