お江戸版おっさんずラブ♡将軍・徳川家光に溺愛された男、堀田正盛【1】:2ページ目
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出世街道まっしぐら
その後も出世街道まっしぐらの正盛は、寛永3年(1626年)には17歳で小姓組のトップである番頭になりました。
ちなみに小姓組って、設立初期は勤番所の前に花畑があったために花畑番と呼ばれたらしいです。どんだけメルヘンなの…。
堀田家の領地は、父の代には1000石ほどだったのに、正盛が家督を継いでからというもの、相模及び常陸国内5000石、上野国内5000石の領地を加えられ、まさかの合計1万石越え。17歳にして譜代大名として諸侯に列する。
小姓組の番頭って4000~5000石くらいの旗本がやる仕事だったので、この頃の正盛にキャッチコピーをつけるとしたら「土地がありすぎる小姓組番頭」というところでしょうか。
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