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『豊臣兄弟!』の裏で大出世!牢人から「2万5千石の城主」へ化けた秀長家臣・本多利久の生き様

『豊臣兄弟!』の裏で大出世!牢人から「2万5千石の城主」へ化けた秀長家臣・本多利久の生き様

大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、豊臣秀長(仲野太賀)の活躍を支える多くの家臣たちが登場します。

限られた放送枠で家臣たちの全員を登場させることはできないため、割愛されてしまう武将も少なくありません。

そこで今回は、秀長に仕えた家臣の一人である本多利久(ほんだ としひさ)を紹介したいと思います。果たしてどんな人物で、どんな活躍をしたのでしょうか。その生涯を一緒にたどってみたいと思います。

「豊臣兄弟!」では描かれない魅力的な人物に関して、下記記事でも紹介していますので、合わせてご覧ください。

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父子揃って牢人から城持ち大名に

本多利久は生年不詳、尾張の国人である水野利元(みずの としもと)の長男として誕生しました。生母は不詳、きょうだいに弟の水野利氏(としうじ)と姉妹(実名不詳)がいます。

元は水野半右衛門利忠(みずの はんゑもんとしただ)という名前で織田伊勢守(織田信安)に仕えていました。

織田伊勢守と言えば、大河ドラマの序盤に織田信長(小栗旬)と抗争を繰り広げていた一族ですね。

やがて織田伊勢守家が滅亡すると牢人となり、名前を本多利久と改め、通称を与八郎(よはちろう)または太郎左衛門(たろうざゑもん)と名乗りました。

二つ名を持つ人間にロクなのはいないものですが、恐らく方々を渡り歩きながら苦労していたことでしょう。

利久には本多俊政(としまさ)・女子(秋田孫九郎室)・本多光吉(みつよし)という子供たちがおり、俊政はすでに元服していたそうです。

やがて羽柴秀吉(池松壮亮)の元へ転がり込み、後に父子揃って小一郎秀長の家臣に配属されました。

秀長家臣として元亀元年(1570年)~天正2年(1574年)の長島攻めや天正7年(1579年)の三木城攻め、天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦で武功を立て、天正12年(1584年)には従五位下(じゅごいのげ)・因幡守(いなばのかみ)に叙せられています。

そして天正13年(1585年)には大和国高取城(奈良県高取町)の城主を任されて知行2万5千石を拝領し、利久は晴れて城持ち大名になったのでした。

天正17年(1589年)には秀長の命によって高取城の改修整備に着手します。計画には軍学者の諸木大膳(もろき だいぜん)が携わり、この事業を通じて高取城は近代的な城郭として大和国内でも屈指の名城となったようです。

2ページ目 秀長死後も活躍

 

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