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永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その2】

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その2】

戦国史上でも人気の高い合戦の一つ、川中島(かわなかじま)の戦いがどういう戦いだったのかを、前回に引き続き、振り返るシリーズです。

前回の記事

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その1】

日本中で戦国時代ブームが再び高まっているこの頃。戦国史上でも人気の高い合戦の一つが、「川中島(かわなかじま)の戦い」です。戦国時代の1553年(天文22年)から1564年(永禄7年) の11年…

続・第一次川中島合戦

支城だった砥石城の裏切りを受け、北信濃の最大勢力だった村上義清側には動揺が広がりました。いよいよ武田軍の攻撃に持ちこたえられなくなった村上義清は4月9日に葛尾城を捨てて越後国に逃げます。村上氏は体制を立て直し、22日には葛尾城を奪還。武田軍は5月にいったん甲府に引き上げていきました。

同年7月25日、再度武田軍が攻めてくると、村上義清はまた窮地に追い詰められ、越後の上杉謙信を頼って落ち延びます。北信濃の最大勢力だった村上氏の没落により、武田は勢力を善光寺のあたりにまで広げていました。

この事実は、村上氏はじめ北信濃の武将のみならずその先の越後を統べる上杉謙信にとっても深刻な問題。これが川中島合戦のきっかけとなりました。

ついに上杉謙信、動く!

9月1日、穏やかならぬ状況をみた上杉謙信はついに自ら出兵。布施の戦いで武田軍を破り、その後順調に葛尾城の支城を取り返していきました。

やがて葛尾城よりさらに南下した塩田城に劣勢となった信玄が籠り、直接対決を避ける姿勢を見せたため、上杉謙信はそれ以上追撃する事を止め、9月20日に越後に引き上げました。

10月には信玄も甲斐に帰還し、第一次川中島の戦いは謙信と信玄の直接対決はないまま終結しました。

2ページ目 第二次川中島合戦

 

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