主君や家族や友人の名誉や汚名返上のために自分の命を懸けた者たちがいました。それはいつしか仇討と呼ばれ、後世では武士の生き様の一つとして私たちの知るところとなっています。
今回はそんな日本を代表する3つの仇討を紹介したいと思います。
幼き兄弟は父の無念の為に復讐を誓う
一つ目は曽我佑成(そがすけなり)と曽我時致(そがときむね)の兄弟が行った曽我兄弟の仇討です。
この仇討の発端は2人の祖父と工藤佑経の所領争いに遡ります。父であった河津佑泰は恨みを買われた祖父と共に佑経の刺客に襲われ、不幸にも絶命してしまいます。
残された曽我兄弟は佑経に恨みを抱きながら生き、一方で佑経は源頼朝の御家人となり、寵臣として悠々とした人生を送っていました。
しかし、転機が訪れます。それは建久4年(1193)に行われた富士の巻狩りでした。これには頼朝と佑経も参加していて、夜になり酒を飲んで酔っていた佑経を2人は討ち果すことに成功します。
しかし、騒ぎを聞きつけた武士たちによって、佑成は仁田忠常によって討たれてしまい、時致は頼朝を討ち果たそうと向かっていきますが、拘束されてしまいます。
頼朝は翌日、時致から仇討に至った理由を聞き助命を考えます。しかし、佑経の子・犬房丸が泣いて訴えてきたため、時致は処刑されてしまうのでした。
この仇討がもとで頼朝の弟・源範頼は頼朝の信頼を失ってしまい、修善寺に幽閉されてしまいます。