アメリカ船に拾われたジョン・万次郎
19世紀半ば、漁の最中嵐に遭い、アメリカ船に拾われたジョン・万次郎こと中濱万次郎。当時彼を助けた捕鯨船は、ジョン・ハウランド号という船で、ウィリアム・ホイットフィールド船長によって運航していました。
万次郎は、そのまま船に乗ってアメリカにわたると、ホイットフィールド船長の養子となって英語や航海術などを学びました。漂流してから十年後、ようやく日本に帰国することが万次郎。当時の日本では海外渡航が禁止されていたため、日本人が見たこともない文明社会で生きた万次郎は、幕府や後の新政府双方に重宝されたといわれています。
特に、1854年にアメリカとの間で結ばれることになる日米和親条約締結の陰の功労者として、その後の日米関係に大きな役割を果たしました。