どちらの財政政策も理にかなっていた。江戸時代の田沼意次の財政政策と松平定信の寛政の改革

湯本泰隆

資本(お金)があるから役人に給与を支払うことができ、それによって質の高い公共サービスを提供することができる。あるいは武器や兵器など、国防上必要なものに投資することができる…。

政治の世界では国の予算をどう確保するか、増やすかということが一つの大きな政治上の課題。それは江戸時代とて同じこと。

この時代、幕府としては無尽蔵にあるわけではない幕府の財布をどのように増やすかということが重要な関心ごとの一つでした。その一環としての江戸の三大革命。読者の中では名前とともにそれぞれの改革の違いを覚えさせられた方も多いのではないでしょうか。「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」…なんてね。

「享保の改革」と「寛政の改革」あいだに、「田沼意次による政治」なんてものもありました。もちろん、この三大改革以外にもそれぞれの時代において、それぞれのキーパーソンが少しずつ改革を主導してきました。

けれども260年の太平の世が続いた江戸時代、授業数に限りのある社会科の授業で扱うのにはあまりにも時間が足りな過ぎる…この辺りをわけのわからないままさらっと流されてしまったという方も少なくないかと思います。

今回は、「享保の改革」の後の田沼意次の政治と松平定信が主導した「寛政の改革」でなされた財政政策のポイントと違いを抑えながら、この時代の改革がどういうものだったのかを改めて考えてみましょう。

3ページ目 商品経済に財源を求めるように

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