陰間は美少年だけがなれる?若さはいつまでも維持できないもの、陰間は期間限定だった

こころ

江戸時代、芳町といえば陰間茶屋が多いことで有名でした。最盛期には100人以上の陰間がいたというから、かなり繁盛していたのでしょう。遊興費は、吉原の最高級の遊女と同じくらいだったそう。

ところで、この陰間は舞台に立てなかった女形が大半でした。だから、陰間は美少年ばかり。ちなみに、当時「野郎」は「歌舞伎俳優の美少年」という意味だったそう。つまり、陰間は「歌舞伎俳優として活躍することを諦めた」女形なのです。

歌舞伎役者として生き残るのは、そう簡単なことではありません。人気が出ない役者は、地方巡業に回されてしまうことも。地方で売れっ子になるより、やっぱり江戸にとどまりたいという想いが強いと、陰間としての道を選択することになるのです。

見た目は女そのものだけど…

若くてほっそりとした陰間は、中性的な魅力がありました。男らしさというより、女らしさ寄りでしょうか。成人式を迎えてない男の子は、男として扱われなかったともいわれています。陰間茶屋に向かう陰間は、身なりは女そのものだから、一見男とはわかりません。

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でも、よく見ると、野郎帽子という帽子をつけて、帯に小刀を差していたりと、歌舞伎俳優とわかることがあります。彼らが男という現実を突きつけられるのが、性交のときです。猛々しいものが露わになると、美しい顔とのギャップにどん引きしてしまう人も、中にはいるようで。綺麗な陰間ほど、そのギャップは大きかったのでしょうね。

2ページ目 陰間は期間限定だった?

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