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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第1話
初霜起想春霞ひけの合図に拍子木の 数も九つうちかけの龍歌川国芳「風俗女水滸伝 九紋龍史進」より 歌川国芳「風俗女水滸伝 九紋龍史進」大英博物館蔵文政七年 正月 (1)桃…
文政七年 正月 (2)
「なんでそんな値なの」
女郎の問いかけに男ははっと笑って膝を打った。
「なんでって、他に仕事がねえからよ。それに、他の凧と違って骨組みも絵付けも全部自前でやってるからな」
「ふぅん」
女郎が妙に納得したようなまだ腑に落ちないような顔をすると、
「姐さん」、
男は小首をかしげ、女を見た。
「買ってくんねえの?」
しゅるりと頬かむりを解いた男の表情を見て、女郎は思わず顔を熱くした。
決して役者になれるほどの美男ではない。
ではないが、きりっと凛々しい眉の下の大粒の目が、星空をそのまま黒目に落とし込んだようにきらめいていた。
女郎はその熱っぽいまなざしに視線を絡めとられて逸らせなくなった。
退廃した江戸の都でこんな目をした人間を、彼女はいまだかつて見たことがない。
ちゅんとした鼻も、くちもとにも不思議な愛嬌があり、何とも言えない可愛げのある顔なのが好(い)い。
女郎はほのかに頬を上気させ、
「仕方ないね。ハイ。兄さんの絵、気に入ったから一分金!」
一分金を手渡した。
「ほんにか!?ありがとう、姐さん」
一分は、銭に換算すると千文ほどである。
「姐さんはやめて。あたしまだ十五なんだから」
「十五!?」
「兄さん、後であすこの裏茶屋に来てよ。ね。お願い」
裏茶屋とは吉原遊廓内で女郎と情夫が逢い引きするのに使った茶屋である。女郎が指した路地の入口には、奥に裏茶屋がある事を示す掛け看板が確かにあった。