鎖国政策下の江戸にも出島があった!?
江戸時代の日本は鎖国体制をとり、中国・朝鮮・オランダなどの限られた国とだけ貿易を行い、それ以外の国とは交流を断ちました。貿易は長崎の出島のみと決められ、交流が許可されている国の人でさえ、日本国内を自由に歩き回ることは一切できませんでした。
そんな鎖国下の江戸に「江戸の出島」と呼ばれた阿蘭陀宿(おらんだやど)がありました。阿蘭陀宿とは、オランダ商館長が江戸を訪れた際に滞在した宿泊所。海外との交流が厳しく取り締まられていましたが、ここではオランダ人と日本人が比較的自由に交流することができたのです。
お江戸日本橋にあるのに長崎屋?
長崎にあった出島のオランダ商館長のカピタンは、定期的に将軍に謁見するために、献上物を持参して参府することが定められていました。
長崎からやってくるカピタン一行が江戸滞在の際に利用したのが、阿蘭陀宿の「長崎屋」です。長崎屋は日本橋本石町三丁目(現在の東京都中央区日本橋室町4丁目)にありました。普段は薬種問屋ですが、副業として宿泊所を営んでおり、一行が参府する春だけ阿蘭陀宿として利用されていました。
鎖国下の江戸では異国人はやはり珍しかったようで、一行が滞在する時期になると江戸っ子たちがこぞって見物に訪れました。その様子は葛飾北斎の江戸名所絵本『画本東都遊』の中の『長崎屋図』で見ることができます。宿の窓からチラッとだけ見えるオランダ人を、老若男女たくさんの江戸っ子が見上げていますね。
宿の中には多くの舶来品が運び込まれました。あのシーボルトも宿泊したことがあり、彼は小型のピアノを宿の2階で弾いたそう。今まで聞いたこともない音色を聞き付けた江戸っ子たちが、宿に集まったのではないでしょうか。