歓楽街として名をはせた吉原では、多くの富裕な贔屓客を奪い合う熾烈なバトルが繰り広げられていました。特に、惜しみなく散在してくれるお金持ちの客人は、茶屋や遊女屋にとってはどんな手を使ってでも繋ぎ止めたい存在でした。
吉原の各店は、お色気はもちろん口八丁手八丁での作戦で贔屓客を誘惑しましたが、中でも風変わりなのが『甘露梅(かんろばい)』と呼ばれる吉原の名物スイーツを進呈する作戦でした。では、甘露梅とはどんなものだったのでしょうか。
甘露梅は、梅と紫蘇の芳香溢れる銘菓
甘露梅の成立については諸説ありますが、明和5年(1768年)に書かれた『吉原大全』には漬菜や昆布巻と並んで、仲の町の名物として記載されていることから、その頃には既にメジャーな存在だったことがうかがえます。松屋庄兵衛なる人物が製造したのが始まりとされ、茶屋から配られるプレゼントでした。
甘露梅は梅に紫蘇の葉を巻いて砂糖漬けにしたシンプルなものでしたが、その作り方は、五月中旬に遊女や芸者衆が総出で仕込みを始め、種抜きや梅酢に漬けるなどの工程を経てから砂糖に漬け、翌々年の正月になってお年玉に使われるほどに、手間暇がかかっていました。
一見すれば梅干しのようですが、甘露梅は『其はぎれが即ちこの品のいのち』と言われたように歯応えがある青梅を使っており、今で言うカリカリ梅のような食感に近いものだったと思われます。