日本橋といえば、かつて江戸の中心地。そもそも、日本橋は、家康が市街地の造成を命じたことがきっかけで作られたそう。慶長8年(1603年)に、江戸城の外堀と江戸湾を繋ぐことを目的に、平川(日本橋川)の河口を延長して木橋を設けたのです。この木橋が、後に日本橋と呼ばれることになりました。
日本橋という名前の由来って?
当初は2本の木を渡しただけの粗末な橋だったことから日本橋という名前になったという説もあれば、江戸の中心地で諸国への行程もここから定められたから日本橋という説もありますが、最も一般的な説は、江戸で最初の橋だったので自然と日本橋と言いだしたという説です。ちなみに、日本橋と江戸橋の間にあった蔵屋敷は、明暦大火後の火除けのための土手蔵だそうな。
そして、橋の名前が日本橋と決まった後に、川や町の名前にも日本橋と付けられることになりました。日本橋川は水運の要路で、伊豆房総方面から新鮮な魚介類を運んでくる押送舟(おしおくりぶね)で賑わっていたそう。日本全国から隅田川経由でここまで物産が届けられてから、幕府や江戸市中に供給されるので、日本橋はなくてはならない場所だったといえるでしょう。