前回紹介した広南(ベトナム)のゾウは、京都の御所への参内を経て江戸へと歩を進めます。記録によるとゾウが御所に招かれたのは享保14年(1729年)4月28日、江戸についたのが5月25日なので、1ヶ月近くかけて東海道を進んだことになるわけです。
ゾウを江戸に入れるにあたって、六郷の渡しを渡すことが決まった時は30隻以上の船を川に浮かべ、その上を渡らせたと言われています。他にも、天領に通達を出して805人の人足を動員した工事を行うなど、ゾウ出迎えは極めて大規模なものでした。
江戸は市民、幕府総出でゾウフィーバー
5月25日に江戸の浜離宮に到着したゾウは、2日後の27日にはめでたく将軍吉宗の上覧を賜りました。その一大イベントに江戸市中は大賑わいで、享保17年(1732年)には象舎が中野に作られます。
中野では、地元民である源助と言う男性が、仲間の平右衛門と弥兵衛と共にこの珍獣を飼育する役目を仰せ付かっています。その盛況ぶりは相当なもので、幕府の御用絵師である狩野古信が絵で描き残したのを皮切りに、当時は日本各地でゾウに関する多くの作品が作られました。
漢詩の『詠象詩』、絵入りの書物『象のみつぎ』、ゾウにまつわる様々な知識や説話を記した『象志』と言った書籍もあれば、江戸っ子の新聞とも言うべき瓦版にもゾウ来訪が描かれるなど、知識人から庶民に至るまで市井はゾウの噂で持ち切りとなったのです。