19年ぶりの日本人横綱としてテレビや新聞、インターネットなど各メディアで「新横綱・稀勢の里」が連日注目を浴びていますが、江戸時代には大童山 文五郎(だいどうざん ぶんごろう)というちびっこ力士が人気を集めたそうです。
わずか7歳で国技館の土俵を踏んだ大童山は、生後1歳2カ月で37.5㎏、7歳で120センチ71㎏!お腹周りは109センチもあったと伝えられています。そして、最終的には体格は159cm、169kgにまで成長します。今の土俵でも立派に務まる体格ですね。
当時の相撲は国技というよりも今の格闘技ブームとかボクシングブームみたいな格闘技エンターテイメントに近かったんでしょうね。化粧回しをつけて一人で土俵入りをするというイベントがあり、とても人気だったそうです。「格闘技×子役ブーム」みたいな盛り上がりでしょうか?言うなれば、子役力士…といった所?
当時の絵師の喜多川歌麿や東洲斎写楽などが浮世絵のモチーフとして選んでいる所を見ても、当時の人気の程がうかがえます。
そして、相撲だけでなく何と、鬼と戦う大童山の姿も…。なんかもう、力士じゃないじゃんっ!。
「格闘技×子役×スーパーヒーロー」という大変な位置まで上り詰めた様です。もうワケがわかりません…。現代の横綱、稀勢の里も真っ青の人気ぶりです。
肝心の相撲の成績はと言うと、最高位は西前頭5枚目…。うーん…イマイチ芽が出なかった感はありますが、写楽の描いた当時の浮世絵では、土俵入りでお客さんがかぶりつきで見ていたりします。
土俵入りの他にも、豪華な大広間でお菓子の様なものをつまみつつ、周りのキレイなお姉さん達から熱い視線を注がれている大童山の姿を見ることもできます。7歳にしてモテ街道まっしぐら…という感じの人生ですね。
当初、見世物的な物を想像していたんですが、色々な浮世絵を見る内に、もしかしたら「大童山ちゃん」の人生って悪くない物だったんじゃないかと言う気になりました。
200年も経ってから言うのもなんですが、業界人達にちやほやされて性格が悪くならなきゃいいなぁ…世の中に染まってピュアさを失ったり、劣化しなきゃいいなぁ…なんて親ゴコロみたいな気持ちも湧いてきちゃいます。今更なんですけどね…。
今後の写楽などの展示の機会には、「大童山」に注目してみてはいかがでしょうか。