『豊臣兄弟!』を支えた武将・多賀常則とは?浅井・信長・秀吉・秀長と主家を変え生き抜いた乱世の実力者:2ページ目
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九州征伐で陣没?
ともあれ常則は、信長死後に羽柴秀吉の家臣となりました。
天正12年(1584年)に秀吉が織田信雄・徳川家康と干戈を交えた小牧・長久手の戦いでは兵300を率いて従軍しています。
後に秀吉の命で羽柴秀長の家臣となり、大和国に知行2千石を賜りました。
また伊予守(いよのかみ)を称したものの、これは朝廷からの正式な叙任か、あるいは官途名(主君から許された私称)かはわかりません。
天正15年(1587年)の九州征伐では秀長家臣として従軍しますが、病のため同年4月20日に陣没しました。
ちなみに没年については異説もあり、天正17年(1589年)に亡くなったとも、慶長2年12月23日(1598年1月30日)に世を去ったとも言われているそうです。
戒名は洞悦(どうえつ)、その家督は嫡男の多賀常直(つねなお)が受け継いだのでした。
多賀常則・人物データ
- 生没:生年不詳~天正15年(1587年)4月20日没?
- 出身:近江国か
- 主君:浅井長政→織田信長→羽柴秀吉→羽柴秀長
- 戦歴:浅井・朝倉攻め、伊賀攻め、武田攻め、小牧・長久手の戦い、九州征伐など
- 知行:大和国2千石(秀長家臣)
- 通称:新左衛門尉
- 官位:伊予守
- 戒名:洞悦
- 子女:多賀常直
終わりに
今回は秀長家臣として活躍した多賀常則の生涯をたどってきました。
秀長に仕えていたのは晩年の3年間ほどに限られましたが、どのような主従関係を築いていたのでしょうか。
他にもたくさんいる豊臣家臣たちを、これからも紹介していきたいと思います。どうぞおつき合いください。
「豊臣兄弟!」では描かれない魅力的な人物に関して、下記記事でも紹介していますので、合わせてご覧ください。
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※参考文献:
- 岡田正人 編『織田信長総合事典』雄山閣、1999年9月
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