まさに逃げ上手!『豊臣兄弟!』で割愛、秀吉の紀州攻めに抗った土橋春継の怒涛の逃避行を一挙紹介:3ページ目
四国から関東そして中国地方へ
ほどなく長宗我部元親(磯部寛之)が秀長に降伏すると、土佐にもいられなくなってしまいます。
そこで春継は四国から脱して関東まで逃げ延び、今度は北条氏政(谷原章介)に仕官しました。
しかしそれも永くは続かず、天正18年(1590年)に北条氏が秀吉によって滅ぼされると(小田原征伐)、もう秀吉に逆らう勢力は日本のどこにもいなくなってしまったのです。
ついに年貢の納め時かと思いきや、春継はまだまだ諦めません。関東から思い切って中国地方へ逃げ込み、毛利輝元(濱省悟)に仕えたと言います。
これをもって、土橋春継は歴史の表舞台から姿を消したのでした。
終わりに
今回は秀吉の紀州攻めに立ち向かった土橋春継について、その生涯をたどってきました。
春継の足跡をたどると、
紀伊(出身)→石山本願寺(籠城)→紀伊(臣従)→土佐(逃亡)→紀伊(再起)→土佐(逃亡)→関東(逃亡)→中国(逃亡)
という、実に立派な逃げぶりと言えるでしょうか。
ここまでの逃げ上手であれば、いっそ朝鮮半島や大陸まで逃げて欲しかったくらいですが、残念ながら春継の晩年や最期について、詳しいことはわかっていません。
他にも興味深い戦国武将がたくさんいるので、また改めて紹介したいと思います。
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※参考文献:
- 鈴木眞哉『紀州雑賀衆 鈴木一族』新人物往来社、1984年7月
- 戦国合戦史研究会 編『戦国合戦大事典 第四巻 大阪 奈良 和歌山 三重』新人物往来社、1989年3月
- 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年10月



