朝ドラ『ブラッサム』借金完済から100万部ヒットへ!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【後編】:2ページ目
歴史に刻んだその生き様千代の人生は、試練と転換点の連続でした。
昭和27(1952)年、国税庁がスタイル社に査察。これは千代の成功を妬んでいた同業者からの投書によるものでした。
脱税疑惑がかけられ、千代たちは世間からは白い目を向けられることとなります。結果、スタイル社には巨額の追徴課税が課されるなど経営にも影響することとなりました。
しかし千代は歩みを止めません。
昭和32(1957)年、千代はアメリカのシアトル国際見本市において着物のファッションショーを開催。世界的な注目を浴びます。
同年には、スタイル社で刊行した『おはん』で野間文芸賞と女流文学者賞を受賞。文学者としての勢いも衰えていませんでした。
しかし輝かしい業績の裏には、経営の苦労が付き纏っていました。
昭和34(1959)年、スタイル社が倒産。千代は巨額の負債を抱える身となりました。
昭和38(1968)年2月には、千代は雪道で転倒。これが原因となり腰骨を折る大怪我をしています。
このとき看病をしたのが写真の藤江淳子であり、終生の秘書となりました。
昭和39(1964)年には、抱えていた負債を完済。それを機に、千代はパートナーである武夫と離婚します。
孤独を抱えながら、その後も千代は創作活動を続けました。
昭和47(1972)年に日本芸術院賞、昭和57(1982)年には菊池寛賞を受賞。翌昭和58(1983)年刊行の自伝的作品『生きて行く私』を上梓し、100万部という驚異的なベストセラーとなりました。
平成2(1990)年には文化功労者として顕彰。日本を代表する作家の1人となります。
平成8(1996)年6月10日、宇野千代は急性肺炎のため世を去ります。享年100。
およそ一世紀にわたり、小説や出版、服飾という異なる分野を行き来し、心のままに生き切り、日本の文芸史にh深く名を刻んだ生涯でした。
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※参考文献・参考サイト
- 宇野千代さんのホームページ
- 森順子「生き抜く人間の姿–宇野千代論」人間環境大学編集委員会 2002年

