【豊臣兄弟!】秀吉に“見捨てられた養子”池田長吉とは?養子の座を追われるも関ヶ原で返り咲いた波乱の生涯:2ページ目
文武両道の名将だった
このように秀吉の都合で振り回された生涯でしたが、長吉自身もただ翻弄されるばかりではなく、戦国乱世をたくましく生き抜いたようです。
長吉は実父と実兄を喪った小牧・長久手の戦いで初陣を飾ったのをはじめ、天正15年(1587年)の九州征伐や天正18年(1590年)の小田原征伐などに参陣しました。
さらに文禄元年(1592年)の第一次朝鮮征伐(文禄の役)において、秀吉の警護や舟奉行として功績を上げます。
また京都方広寺の大仏造営や伏見城の普請にも尽力し、実務方面でも才能を発揮しました。
慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、豊臣秀頼が跡を継ぐと徳川家康(松下洸平)に接近します。
そして慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起きると、家康率いる東軍に加勢して次兄の池田輝政(てるまさ)と共に武功を立てました。
岐阜城攻め・関ヶ原本戦・近江水口岡山城攻めと歴戦し、論功行賞において鳥取城と六万石を与えられます。
この時点で正式に羽柴から池田の苗字に戻しており、豊臣政権から徳川政権に軸足を移したのでしょう。
慶長7年(1602年)に鳥取城へ入った長吉は、関ヶ原の戦いで焼き払われていた鳥取城と城下の再建復興に着手しました。
再建には4〜5年の歳月を要しましたが、これまでに建築分野で培われた才覚をもって、見事に成し遂げたそうです。家康は、まさに適材適所で長吉を鳥取に配したのかもしれませんね。
その後も慶長8年(1603年)に関ヶ原の戦いで焼け落ちた伏見城の再建、また慶長11年(1606年)には江戸城の石垣普請に参加しています。
さらに慶長15年(1610年)の丹波亀山城でも普請に参加、まさに文武両道において活躍した人生でした。
終わりに
今回は秀吉の養子となった池田長吉の生涯をたどってきました。
他の養子たちに比べてあまり知名度が高くない印象ですが、こうしてみるとかなり活躍したことがわかります。
果たして長吉は大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場するのでしょうか。登場するなら誰がキャスティングされるかも注目ですね。
※参考文献:
- 菊地浩之『増補新版 豊臣家臣団の系図』角川書店、2025年11月
