幕末の決定的瞬間を描いた『大政奉還図』実は矛盾だらけ!あの有名絵画に潜む奇妙な違和感

大政奉還「していない」!?

江戸幕府の終わりを象徴する出来事といえば大政奉還です。そして大政奉還と言えば、多くの人がこの邨田丹陵による『大政奉還図』を思い浮かべるのではないでしょうか。

『大政奉還図』とは、下記の絵のことです。

『大政奉還図』(Wikipediaより)

※参考:

日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】

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「大政奉還」のイメージ幕末の歴史をご存知の方なら、徳川慶喜が大政奉還に至るまでのいきさつは説明するまでもないでしょう。[insert_post id=55958][caption …

歴史の教科書や資料集などで、誰もが一度はこの場面を描いた絵を見たことがあるでしょう。

徳川最後の将軍である慶喜が上段に座り、その前にずらりと並んだ大名たちへ向けて、政権を朝廷に返上するという重大な決意を告げている(ように見える)、あの有名な絵画です。

しかし、実はこの絵が描いている内容は、歴史的な事実とは大きく異なっていることをご存じでしょうか。

まず基本的な事実として「大政奉還」という行為そのものは、将軍が天皇に対して政権を返す手続きを指します。

したがって、その儀式が行われる場所は当然ながら天皇のお住まいである御所になります。

絵の舞台となっているのは二条城ですが、ここではあくまでその準備段階の会議が行われたにすぎません。

つまり、あの絵は「大政奉還を行っている瞬間」ではないのです。

では、あの絵はいったい何を描いているのでしょうか。

2ページ目 “あの絵”のさまざまな矛盾点

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