”幕末”はペリー来航以前から始まっていた!泰平の世を揺るがした「内憂外患」とは?

歴史 好き太郎

江戸後期の内憂外患

江戸時代が終わりを告げ、「戦乱や社会の不安定からの解放」という為政者側にとってのマニフェストが破られようとしたのがいわゆる幕末期です。

この幕末期が訪れたのは、ペリーと黒船の来航が大きなきっかけだったと長らく教えられてきました。

しかし歴史をつぶさに見るとそれだけではなく、実はもっとずっと前から、大きく分けて二つの原因(問題)があったことが分かります。それは社会の矛盾の表面化と国際社会の変化で、これは、ひとことで言えば内憂外患とまとめられるでしょう。

まず、「内憂」として挙げられることは、1820年代からみられるようになったコレラや天然痘などの感染症の爆発的な流行です。

そして1830年代の前半、東北・北関東一帯に大規模な冷害が起こり、凶作となったことが挙げられます。これらによる社会不安が農村での一揆、都市での打ちこわしの背景となりました。

ちなみにこの時期、反対に人口が増加して生産力が増大した地域もありました。それが長州や薩摩で、なんと人口が約60%も増加しています。その後なぜ薩摩と長州が明治維新の中心となりえたのか、その要因が江戸時代の終わりにあったことが分かりますね。

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