【べらぼう】蔦重が定信へ挑んだ次なる一手…山東京伝(北尾政演)の黄表紙『奇事中洲話』に込められた思い

雉(キジ)も鳴かずば撃たれまい……余計なことをしなければ、災いを受けずに済んだのに、と惜しむ慣用句として知られています。

恋川春町『鸚鵡返文武二道』唐来参和『天下一面鏡梅鉢』朋誠堂喜三二『文武二道万石通』を絶版処分とされ、打撃を受けた蔦屋重三郎は、山東京伝(北尾政演)に次なる黄表紙を書いてもらいました。

その名も『奇事中洲話(きじもなかずは)』。いったいどんな物語なのでしょうか。

幽霊と人間の駆け落ち夫婦

今は昔し。地獄に堕とされていた遊女の高尾太夫(たかお)と女形の荻野八重桐(やえぎり)は、閻魔大王の寵愛が薄れたことによって生活苦に陥ります。

こうなったら、もう覚悟を決めて「生きる」しかないと娑婆(現世)へ駆け落ち。故郷の中洲(※)で茶屋を開きました。

(※)江戸近郊の私娼窟。当時、火事で焼け出された吉原遊郭の女郎屋が、仮営業しています。

しかし幽霊だから食費はかからないものの、いかんせんお江戸は家賃が高くて叶いません。

次第に生活が苦しくなって来たので、八重桐は荻江八重蔵(やえぞう)と名を変えて、長唄芸者としてお座敷に出ることにしました。

そんな八重蔵&高尾夫婦のお隣は、文屋(文書取次)を営む瀬戸屋忠兵衛(ちゅうべゑ)と遊女の梅川(うめがわ)が住んでいます。

二人(こちらは人間)はもともと大坂で暮らしていましたが、二人の仲を妬む八右衛門(はちゑもん)によって濡れ衣を着せられ、江戸の中洲まで逃げてきたのでした。

こちらも暮らし向きが苦しかったので、梅川は花袖と源氏名を変え、三文字屋七兵衛(さんもんじや しちべゑ)に抱えられます。

花袖は長唄が好きだったので、しばしば八重蔵を座敷に呼びました。

いっぽう忠兵衛は家で仕事をするため、お隣の高尾とよく顔を合わせて打ち解けています。

そんな暮らしが続く中、花袖は高尾を妬み、忠兵衛は八重蔵を妬むようになりました。

花袖と忠兵衛の妬みはやがて生霊となり、花袖は高尾にとりつき、忠兵衛は八重蔵にとりついて夫婦喧嘩を始めたのです。

2ページ目 生霊同士の痴話喧嘩

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