幻の「2代目 横浜駅」関東大震災で焼失…わずか8年の営業だったその遺構がマンションの片隅に!

かつて「神奈川のガウディ(サグラダ・ファミリア)」とは誰が呼んだか呼ばないか、いつもいつでもいつまでも改修工事を続けていた横浜駅。常にどこかしらリニューアル工事を続け、まるで生き物のようにその姿を変え続けています。

そんな横浜駅ですが、実は現在3代目。初代と2代目はそれぞれ現代と別の場所(※)で営業していました。

(※)初代は現代の桜木町駅(横浜市中区)、2代目は高島町(横浜市西区)です。

2代目横浜駅は大正4年(1915年)から大正12年(1923年)にかけて、わずか8年しか存在しなかった「幻の駅」とも呼ばれているとか。

今回はそんな2代目横浜駅の歴史をたどってみたいと思います。

関東大震災で倒壊・焼失

2代目横浜駅は大正4年(1915年)8月15日に開業。初代横浜駅は桜木町駅と改称し、それぞれに営業していました。

それまで東海道本線の上り下りは初代横浜駅でスイッチバックしなければなりませんでしたが、その不便を解消するため神奈川~程ヶ谷間に短絡直通線を延伸します。

短絡直通線の中間には平沼駅が設置されていましたが、2代目横浜駅の設置にともない、短絡直通線と平沼駅は廃止されました。

初代横浜駅・略年表

かくして東海道本線の利便に貢献した2代目横浜駅ですが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で駅舎が倒壊・焼失してしまいます(初代横浜駅=桜木町駅も同時に焼失)。

9月7日には仮駅舎を設置して営業を再開するも、昭和3年(1928年)10月15日に現在地で3代目横浜駅が開業すると同時に、2代目横浜駅は高島口乗降場として併合されました。

そして昭和5年(1930年)1月26日に高島口乗降場を閉鎖。2代目横浜駅の歴史は、完全に幕を下ろしたのです。

2ページ目 15年ほど存続した2代目横浜駅

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