坂本龍馬とお龍、日本初の新婚旅行へ。寺田屋事件から霧島へ逃れた愛の18日間

湯本泰隆

坂本龍馬といえば、倒幕の志士として名を馳せた人物です。けれど、刀や策ばかりが彼のすべてではありません。ひとりの男として、家族を持ち、誰かと肩を並べて生きた――そんな側面が、彼の人生にも確かにありました。

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1866年の春。京都の旅籠「寺田屋」で、龍馬は幕府の捕り方に襲われました。風呂に入っていたお龍が気づき、裸のまま階段を駆け上がって、龍馬に危険を知らせたと伝えられています。騒ぎの中、どうにか逃げのびたふたりは、薩摩藩邸に身を寄せることとなります。

深手を負った龍馬には、療養が必要でした。

西郷隆盛が、薩摩の霧島で湯治をすることをすすめます。人目を避け、静かに過ごすにはうってつけの土地――そうして、ふたりの旅が始まりました。

薩摩藩の手配した船で鹿児島へ向かい、ふたりは山あいの霧島に入ります。塩浸温泉に逗留したのは、十八日間。温泉に浸かって傷を癒し、川で魚を釣り、時にはピストルで鳥を撃つなど、龍馬らしい自由な時を過ごしたといいます。

旅を終えたその年の暮れ、龍馬は姉・乙女に手紙を送ります。お龍のことや霧島での出来事を絵入りで綴ったその手紙は、後に「新婚旅行の手紙」と呼ばれるようになりました。

3ページ目 龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり

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