遊女や囚人までも救った、意外と知られていない万能すぎる鎌倉時代の僧侶・叡尊の功績

雲川ゆず

普段の生活で仏教を強く意識している方はそれほど多くないかもしれませんが、日本では、仏教のさまざまな宗派が存在していますよね。特に鎌倉時代には、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗(法華宗)、時宗、臨済宗、曹洞宗といった6宗派が誕生しました。

そんな鎌倉時代に活躍した僧侶のなかに、叡尊(えいそん)という人物がいました。ほかの僧侶と比べるとやや知名度は低いかもしれませんが、実はさまざまな功績を残した人物でもあるんです。

そこで、今回の記事では、そんな叡尊にフォーカスしてご紹介していきたいと思います。

※あわせて読みたい記事:

センス最悪…鎌倉時代、とある僧侶につけられた子供たちの名前がひどすぎる件。『沙石集』より

生まれた子供につける名前は「人生最初のプレゼント」なんて話をよく聞きます。しかしそれは親の都合であって、子供本人にとってつけられた名前がよいか悪いかはまた別の話し。今回は鎌倉時代の仏教…

叡尊の生まれ、出家

叡尊は、1201年(建仁元年)、大和国添上郡箕田里(現在の大和郡山市白土町)で、興福寺の学侶・慶玄の子どもとして生まれました。7歳のときに母親が亡くなり、醍醐寺の巫女の家の養子となりました。その後、養母もなくなり、11歳のときに醍醐寺(京都市伏見区)の叡賢に預けられ、17歳で醍醐寺・恵操を師として出家しました。

初めは密教を学んでいたものの、密教行者の中には、邪道に陥る者が多い現状に疑問を抱くようになります。

戒律重視の必要性を感じる

叡尊は、悟りに到達するためには、釈尊が定めた戒律をしっかりと遵守することが大切だと感じ、戒律復興に力を入れることを決意しました。そして、1235年(嘉禎元年)1月に持斎僧(戒律を守る僧)を募集していた西大寺に入りました。

ちなみに、西大寺は彼が祖となる真言律宗(しんごんりっしゅう)の本山です。

2ページ目 大和西大寺の復興にも尽力した叡尊

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了