辺鄙な場所に多い縄文遺跡
縄文時代の遺跡は、北海道から沖縄まで全国各地で発掘されていますが、その多くは、現代の感覚からすると辺鄙な山間部にあることが多いです。
たとえば、約五五〇〇年前から一五〇〇年に渡って大規模な集落が栄えた青森県の三内丸山遺跡は、八甲田山から続くゆるやかな丘陵の先端に位置しています。
また、約五〇○○年前の大集落である神奈川県相模原市の勝坂遺跡も、内陸部の辺鄙なところにあります。
もちろん、現在では都市部にはビルや住宅が密集しているため、今になって大規模な開発が行われることは少なく、そうした開発に伴う発掘調査が行われにくいという理由もあるでしょう。
それでも、縄文時代の人々が、現代の感覚からみると不便としか言いようがない山間部を選んで生活していたことは間違いありません。
まことに現代の感覚で見ると理解しがたいところがあります。これはなぜでしょうか?
食料の調達しやすさ
答えはいたってシンプルで、採集・狩猟中心の生活を維持するには、山間部のほうが適していたのです。
縄文時代の人々の生活は、採集と狩猟によって成り立っていました。そのように自然に存在するものを採って生活しようと思えば、むろん食料の豊富なところに住む方が有利です。
しかも大人数を養うためには、近場で大量の食料が手に入る場所を選んだ方がいいに決まっています。と考えれば、平野よりも山間部のほうが、はるかに好条件の物件だったと言えるでしょう。