島流しされたあとの生活を想像したことは、ありますか?
地獄のような生活を送ったのではないかと考える人も多いかもしれませんが、時代によっては極楽のような日々を送っていたのです。
今回は意外と知られていない、「島流しをされたあとの生活」についてみていきましょう。
島流しとは
罪人を流すことは一般的に流罪(るざい)と呼ばれ、追放先が島の場合には「島流し」といわれました。
罪人を辺鄙な地や離島に追放する刑罰のことで、死罪の次に重たい刑と言われていたようです。
追放先では孤独に生涯を終える受刑者が多くいる一方、源頼朝や後醍醐天皇、ナポレオン・ボナパルトのように島流しから再起した人物もいます。
島流しになる罪
島流しには犯した罪の軽い順に「近流」「中流」「遠流」と種類がありました。
殺人や放火、子供の強姦といった重たい罪の場合は「遠流」となり、「都から1500里の場所へ島流しされた」と言います。ただし、1500里は日本の全長よりも長い距離であり、真実は不明です。近流の場合は、島流しされてから数年で免罪されることもあったのだとか。
島流し後にメリットもあった奈良時代
奈良時代では、島流しの対象に庶民も含まれていました。島流しされた罪人は1年間労役に服し、働きぶりが良ければ免罪になることも。
また、刑期を終えて本土へ戻ってきた者には生活できるだけの田畑が与えられました。当時の島流しには、 本土の技術や言語、思想など文化の伝播にも効果があったのと考えられています。