恐妻家と嫉妬妻? 徳川2代将軍・徳川秀忠と継室・江(崇源院)の関係性【前編】

Japaaan編集部

徳川2代将軍「徳川秀忠(とくがわひでただ)」は継室である「江・崇源院(ごう・すうげんいん)」以外に側室は持たず、江とのみ夫婦関係を貫いたとされる。

しかし、実際の秀忠には江以外の女性との関係があった。

今回は、秀忠と江夫婦の関係性を探ってみたい。

夫・徳川秀忠

徳川秀忠像

1595年。浅井長政の三女・江と婚姻。(再婚とされるが、最初の結婚相手である小姫との婚姻に関しては確証がない

秀忠には、関ヶ原の戦いで開戦に間に合わなかった失態や、大坂冬の陣の強引な行軍などによる失敗など不名誉な記録があり、武将としての評価は低い。

一方、将軍としての秀忠の功績を評価する声は多く、中でも禁中並公家諸法度の制定や娘の和子の入内など、天皇家や公家との関係性強化に尽力した。

徳川実紀によると、温厚な人物であったとされる。

2ページ目 秀忠との結婚が三度目の妻・江(崇源院)

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