平安貴族と聞くと、おっとりとして荒事とは無縁の人物像を思い浮かべる方がほとんどではないでしょうか。
もちろん貴族の中には武官がおり、また後に武士となっていった軍事貴族も少なくありません。
それでもあくまで威儀を正したり軍事力を行使したりと言った役割であり、個人が武勇を奮うイメージはあまりないかと思います。
しかし中には自身が武具をもって人の生命を奪う者もいました。
今回は百人斬りを果たした平安貴族・藤原朝成(あさひら)のエピソードを紹介したいと思います。
強盗犯を百人斬り!
康保2年(965年)に検非違使(検非違使[けびいし/けんびいし]とは?)別当となった朝成は、京都の罪人を厳しく取り締まりました。
特に強盗を厳しく取り締まったのか、犯人を捕らえると容赦なく首を刎(は)ねていきます。
「あと九十一人……あと八十八人……」
百人斬りを果たしたら、願いが叶う。そう信じて朝成は来る日も来る日も強盗の首を刎ね続けたのです。
「あと七十四人……あと六十三人……」
もしかしたら、中には容疑が不十分なのにカウント稼ぎのため「強盗犯」として斬られた者もいるかも知れませんね。
「あと二十人……あと五人……」
首斬り別当とは誰が呼んだか(※そんな記録はない)、何はともあれ朝成は百人斬りを達成したのでした。
「やったぞ!これで行ける!」
朝成は一路、石清水八幡宮へ参拝して神主に面会します。何を話したのでしょうか。