「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【前編】

歴史 好き太郎

変わる「中世」の定義

教科書では、かつては中世を「鎌倉時代・室町時代(いわゆる戦国時代を含む)」として説明してきました。

しかし、現在は平安時代の末期から、つまり「院政」が発生した時点から、日本の中世は始まったと考えられています。

学術書などでは、より厳密に後三条天皇の政治を分岐点として説明している場合が多く、この点は多くの専門家の意見が一致しているところです。

そもそも「古代」「中世」「近世」という時代区分の名称は、世界史、とくに西洋史の分類を日本史に無理に当てはめようとした結果割り当てられたもので、実は「日本に中世は存在していたのか?」という議論は戦前(1920年代)から存在していました。

今までは、武家政権の成立以降を中世として捉える分類が一般的でしたが、今はまず武家政権の成立をどこに置くのか、鎌倉幕府の成立はそもそもいつからか、などの議論が進んでいます。

その結果、最近では院政の時代からを「中世」とするようになったのです。

その区分が採用されるようになった理由はいくつかありますが、ざっと以下に列挙してみましょう。

・平安時代中~末期に公地公民制が崩れ、寄進による荘園が増加したこと
・公領に任命された国司が、徴税請負を行い自分の領地であるかのようにふるまうようになったこと
・藤原氏など有力貴族が一族などを受領に任命して、その地での収益の一部を自分の取り分にするようになったこと

これらの要因で社会が大きく変わり、武士という存在が大きな存在感を持つものと考えられるようになっていったのです。

では、武士とはどんな存在だったのか。武者の世はどうして始まったのか。武家政権とは何だったのか。

少し前置きが長くなりましたが、中世における貴族と武士たちの関係などについて、従来のイメージがどのように変わったのかを前編・後編に分けて見ていきましょう。

3ページ目 「武士」イコール「無法者」?

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了