横浜観光のハイライトと言えば、山下公園に係留された氷川丸(ひかわまる)を挙げる方も多いのではないでしょうか。
氷川丸は昭和5年(1930年)に建造され、先の大戦(大東亜戦争。昭和16・1941年~昭和20・1945年)をくぐり抜けてなお完全体で海に浮かぶ唯一の船舶です。
就役から退役までの30年間、太平洋を横断すること254回(238回説もあり)、乗せた客は25,000余名と大活躍でした。
今回はそんな氷川丸を守護し続けた船内神社である氷川丸神社に参拝。その後祭神や波乱の船歴を紹介したいと思います。
氷川丸神社の御祭神・ご利益は?
日本の艦船はその多くが船内に神様をお祀りしており、艦船名+神社で呼ばれるケースが大半です。
氷川丸神社は埼玉県さいたま市に鎮座する武蔵国一宮・氷川神社(ひかわじんじゃ)から分霊されました。
そもそも氷川丸という船名じたいが氷川神社のご加護を得られるように名づけられたものですから、当然と言えるでしょう。
氷川神社の御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)。
※御祭神名は公式サイトより。
須佐之男命と言えば、八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)退治で有名な日本神話の英雄神。稲田姫命は八俣遠呂智の生贄にされかけたところを須佐之男命に救われた妻神です。
大己貴命は須佐之男命の子孫で、大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれ葦原中国(あしはらのなかつくに。日本の美称)を統治しました。
氷川神社の御神徳は皇室の弥栄・国家安泰・子孫繁栄・家内安全・商売繁盛・交通安全・心願成就・縁結び・安産・災難避けなど様々です。
「もうとりあえず氷川神社へお参りしとけば大丈夫だろ」感に満ちあふれていますね。
また氷川神社が「氷川」と冠する由来には、出雲国の斐伊川(ひいかわ)説と、古語で霊験あらたかな泉を意味する氷川説があるようです。
氷川神社は知られている限りで日本全国に280数社が鎮座しており、氷川丸神社もその一社となっています。
戦時中には3回も触雷(しょくらい)しながら、沈没することなく使命をまっとうできたのは、氷川丸神社のご加護もあったのではないでしょうか。